「サルビア東京案内」-図案:セキユリヲ、文:木村衣有子-

613(無意味)の日。雨の降っていない誕生日は珍しい。ミオ犬に銀座のアフタヌーンティでジェイミー・オリヴァーのランチをごちそうしてもらった。バジルとオリーブオイルをたっぷり使った肉料理でおなかいっぱい。夜だったらアルコールをめちゃくちゃ飲んでしまいそうな感じでした。
天気予報を見ていると今週は梅雨の中休みらしいですね。先週もずっと雨というわけではなかったし、梅雨入りは早かったけれど今年は意外と雨が降らないのかな、なんて期待しまう。そもそもその天気予報もあてにならないのですが・・・・。あまり期待せずに朝起きて明るかったら「ラッキー!」と考えることにしよう。「期待は失望の母」という格言もありますしね。

そんな天気の良い日があったらこの本に載っているような谷中や神楽坂を一眼レフや最近あまり使ってないポラロイドカメラを持ってのんびり歩いてみたい。
どうも本を買うことを前提に歩き回っているので、どうしても家を出るときはできるだけ荷物を持たないようにしてしまうのです。しかも高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻、吉祥寺と中央線沿線ばかりだ。特に引っ越しして吉祥寺、西荻が少し遠くなった分、荻窪によく行くようになった気がする。行くたびに違う道を通っているので、新しいお店や喫茶店を見つけたりして楽しいことは楽しいんだけどねぇ。

「達磨の縄跳び おしまいのぺーじで 2」-文藝春秋 編-

「巻頭随筆」に続いて「オール読物」の悼尾に連載された昭和61年から平成8年までのリレーエッセイを集めた本。山口瞳、吉行淳之介、水上勉、吉村昭、開高健、丸谷才一、結城昌治といった作家のエッセイが収録されています。
どれも2ページくらいの短いものなので、内容的には日常の些細なことやふと思い出したような昔の思い出話など、「巻頭随筆」よりもさらりとしていますが、軽く読むにはいい感じです。前の人のエッセイを読んだ影響で微妙に取り上げる題材が似てしまう時期があったり、連載陣が高齢なため病気の話になりやすく、そういうエッセイが続くとそれを戒める文章があったりしておもしろい。山口瞳の回が最後の方でなくなってしまっているのは作者が亡くなったからだな、なんて思ったりして。1のほうも今探しているところです。
ところで前々回「巻頭随筆」が3まで出ているらしいと書いたのですが、この本の広告欄(?)を見てみると6冊出ている模様。訂正します。全部そろうのはいつのことか、先は長そうだ。

昔話といえば私が生まれたのは横浜の保土ヶ谷区にある笹山団地というところで、周りはわりとたくさんの団地が集まっているような場所でした。それでその同じ棟に私と同じ歳で6月生まれの男の子が3人いて3日、6日、9日そして13日(私)と誕生日が続いていました。ほかの棟にも同じ歳の子供が居たから、いっつもまとまって遊んでいたものです。それぞれにも兄弟はいたし、歳の近い子供も多くいたし、今思うと小さい子供がたくさんいたんだなぁと思う。
私は幼稚園に行かなかったけれど、もともとあった幼稚園だけでは足りなくて新しい幼稚園ができたりしていたし、小学校も校舎と増築するとかで入学した手の頃はプレハブの仮校舎で勉強してました。
ついでに言うとその後、引っ越してきた二宮でも近所に6月11日、12日生まれの同級生がいて一緒に誕生会をしてました。リップ・スライムが「なぜか多い6月のベイベー」と歌うだけのことはありますね。そんな同級生たちもいまではもう30代半ば、もうほとんど連絡なんて取ってないけどみんな何してるのだろうか。

「ku:nel」(Vol.8/2004.7.1)

ようやく「ku:nel」の新しい号を買う。ハワイ特集。最近いろいろな雑誌でハワイを特集していますね。流行ってるのかな。私自身はハワイに行ったことはないけれど、友達が一時期ハワイに凝ってしまって、バイト代がたまる度に年に2回くらい、それも2週間から1カ月以上ハワイに行ってました。もう十年位前のことですが。
でもその頃は、特にハワイに興味のない私たちでさえもゴンチチの「ヒロ」を耳コピでものすごく簡単にしてウクレレで弾いたり、「ハワイ島 アロハ通信」の頃の平野恵理子展に行ったり、アーサー・レイマンやマーティン・デニーを聴いたり・・・・と、その友達の影響を受けた生活を東京の六畳一間の暑い部屋の中で送っていました。
そういえばその何年後かもよく行っていたイベントの周辺でハワイブームがあって、フラを習う女の子がいたり、ハワイアンAORのレコードを買い漁る友達が居たりしたな。そう考えるとハワイブームって割と定期的に起こるものなのかな。
私がハワイに行く日はいつになるのだろうか?なんてことを思いつつゆっくりとページをめくってます。ちなみに4月にやっているた「トリスを飲んでハワイに行こうキャンペーン」に応募し損ねてしまいましたが・・・・。

ところで前から行きたいと思っていた芦花公園の世田谷文学館でやっている「池波正太郎の世界展」に行って来ました。地図を見たら芦花公園って家から吉祥寺よりも近かかったので、芦花公園からついでに千歳烏山→三鷹台→吉祥寺と自転車を走らせてみました。時間と体力があったら調布の方まで甲州街道を下ってみようかと考えていたのですが、吉祥寺まで戻ることを考えると「ちょっと、どうかな」という気分になってしまいます。20代の頃、調布に住んでいたときはよく自転車で吉祥寺まで遊びに出ていったりしていたものだけど。
展覧会の方は、「鬼平犯科帳」などの時代劇のファンらしい老夫婦やおばさん、おじさんがポスターとか見ながら、「鬼平は●●●に限るねぇ」みたいな話をしてるのを横で聞いたり、私は基本的にその辺の時代ものにはまだ興味がないのでさらりと見たり、料理や旅、昔の東京などについてのエッセイ関係の書籍や雑誌をチェックしたりしていました。

「巻頭随筆」-文藝春秋 編-

タイトルどおり「文藝春秋」の巻頭に連載されている随筆をまとめた本。年代順に並んでいるわけではないので正確にはわかりませんが、1960年代後半から1970年代初めのものが100編収録されてます。。執筆者は和田勉、金田一春彦、井伏鱒二、芥川也寸志、淀川長治、池田弥三郎など幅広いジャンルに渡っていて、読んでいて飽きません。
こういう本を電車の中や待ち合わせの時間に少しずつ読んでみたり、一人で喫茶店や家のソファに座ってコーヒー片手に読んでいるのは楽しい。最近は小難しい小説なんか読むよりもこういった本を読んでいるほうが楽しい。20代の頃は日本人の随筆なんて読んでいるのは時間の無駄とさえ思っていたもので、そんな暇があったら、一冊でも知らない作家の翻訳小説を読みたいと思ってたのにね(翻訳家が書いたエッセイは“勉強”のために読んでましたけど)。歳をとっるといろいろ変わってきますね。
このシリーズは3まで出ているらしいので、どこかの古本屋で見つけられるといいなぁ。

引っ越しして一週間、少しずつ部屋の方も落ち着いてきました。まぁ当分片づけられないモノは片づけられないんですけどね。今日は新しく買ったCDラックが届いたので、山下達郎のサンデーソングブックを聴きながらCDをラックに入れたり、聴かなそうなCDを振り分けていたりしてました。
で、番組中にレコード屋さんをうろうろしていたら「家にCDいっぱいあるんだから買うんなら1枚だけにして」と奥さんに言われている人を見かけた、なんていうはがきが紹介されたりして他人事とは思えない気持ちになったりして・・・・。

「英語と英国と英国人」-吉田健一-

免許の更新に行ってきました。更新と住所変更が一緒にできて良かったです。私はもう何年も車の運転をしていないペーパードライバーなので、“優良”と区分されているけれど実際に運転したら怖いだろうなぁ。
時々実家に帰ったときに運転しようかな、と思わないこともないけれど、たいていが日帰りなのでそんな暇もないのでした。かといっていきなり一通の多い杉並近辺で運転するのはちょっとね。でも引っ越してちょっと吉祥寺や西荻から遠くなったので原付があったら便利だな、なんて思ってる今日この頃なんですけど・・・・。

更新のはがきが来たときから、せっかく中央線を下るのだからついでに武蔵小金井近辺、もしくは国分寺くらいまで足をのばして古本屋さんでも回ってみるのもいいかなと密かに考えていたのですが、なんだか面倒になってしまい、結局1時過ぎに手続きが終了した後、そのまま吉祥寺に戻って昼ご飯食べたりして。
特にいきたい古本屋さんもないし、探してる本もないしね。いやあるんだけど、家に読んでない本が何冊かたまってるわけで。やらなくちゃいけないこともたくさんあるし・・・・。

それにしても免許の写真ってどうして笑っちゃう感じになってしまうんでしょうか。もともと写真写りのいい顔というわけじゃないけどね。

「Room Talk」-岡尾美代子-

こんな本を読んで「いいなぁ」、なんて思っている場合でもなくて、部屋の中が片づきません。部屋中段ボールの山、ゴミの袋の山、空いた段ボールの束といった感じ。さてこれをどうやってきちんとしまおうか、と毎日悩んでます。いつになったら落ち着くんでしょうかねぇ。

淡い色の、ポラロイドで撮られた北欧やイギリス、ロシアなどの風景、傘やスリッパ、パンやジャムなど日常で使われている道具・・・・こんな風に自分の気に入ったさまざまなものたちを大事にしつつ、それらに囲まれて過ごしたいという気もするけれど、現実はそうもいかないわけで、逆にそういう生活がほんとうに自分に合っているか、と考えると「それもどうなのかなぁ」とも思ったりもするわけで・・・・。
ただ、この雑記の写真もただ工夫もなくカヴァーをスキャンするだけでなくて、家にあるものを使ってきちんとセッティングして一枚一枚ポラロイドとかで撮ってみるのもいいかな、と。そんな続くはずもないことを考えたり・・・・してる場合じゃないんですけどね。

話は変わって今日から6月、カヌー犬ブックスももうすぐ一周年。なんだか順調なのかよれよれなのかわかりませんが(そもそも何を目標としているのやら?)、一年間やってこれてまぁよかったです。見てくれているみなさんのおかげです。ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

「奥付の歳月」-紀田順一郎-

「サンデー毎日」に1992年から2年間連載したコラムを中心にまとめた本。そのころに復刊された本について、その周辺のことについて書かれたもの。内容的にはものすごくおもしろいのだけれど、一つ一つの文章が短いのでちょっと物足りない。週刊誌の連載だからしょうがないですかね。

我が家は週末から引っ越しの準備。新しく買わなくちゃいけない物(大きな物から小さな物まで)を買いに行ったり、いらない物の選別をしたり、いろんな事務処理の電話をしたりしてます。ちなみに電話は変わりませんでした。ミオ犬は同じ電話番号で4軒目、3回目の引っ越しという・・・・。
少しずつ箱詰めもして部屋がだんだんすごいことになっているのだけれど、レコードとCDだけで20箱だものね。うちなんて私しかレコードとか持ってないからいいけれど、●●夫妻や○○夫妻なんてどうなっちゃってたんだろうか。あと日曜日にディスクユニオンで偶然会った■■くんや▲▲さんなんてねぇ・・・・。明日は本をまとめることにしよう。

「relax 2004/06」

「relax」では恒例となりつつあるラヴァーズ特集(そしてビーチサンダル特集)。こういうディスクガイドを見てそこに載っているレコードをチェックするなんてことはもうしませんが、雑誌のほうはなんとなく買ってしまいます。
最近イージーリスニングのいいレコードが手に入らないので今年の夏もロックステディ/ラヴァーズでも聴いてすごそうかな、なんて思ってみたり、まずはジャマイカ産のカリプソだなと思い(そういうのをスカリプソというらしいですね)、バイロン・リーのアルバムなど買ってみたりしてます。

諸事情が重なって今日やっと親知らずを抜きました。意外と簡単に抜けたので「楽勝じゃん」なんて思いつつ、時間が空いたのをいいことに麻酔が効いてしびれた感じを気にしながら、「この麻酔がきれたころに西荻でごはんでも食べよう。どこにしようかな」と荻窪や西荻を歩き回ってしまいました。しかーし麻酔がきれたらごはんを食べるどころではなかった。よく考えたらそうですよね。麻酔が効いてるから痛みを感じないわけで・・・・。

「如何なる星の下に」-高見順-

何の本だったか忘れたけれど、「戦前の浅草の様子が描かれた本」として紹介されていた作品。実際、仕事場として浅草にアパートを借りている書けない作家が、書けないままレヴューの女の子に恋をしたり(でもかなり一方的で最初から最後までで一回しか直接会わない)、酒を飲んだり、食事をしたり・・・・そんな描写が続いてる。
その分、先の本のとおりレヴューに出ている踊り子たちや芸人の生き方や当時の浅草の様子などが細かく描かれていて、当時のいや現在の浅草さえ知らない私でも楽しめる。実際、主に入り浸る食堂以外で出てくるたべもの屋などは実在したものなんじゃないかな。どうなのだろうか?

単行本で読んだせいもあり、旧仮名遣い・旧漢字で表記されているのもそういう雰囲気が出てるのかもしれない。吉田健一で旧仮名遣い・旧漢字はきついけど、このくらい軽いスタイルだと適当にとばして読めるので読みやすい。旧仮名遣いをすらすら読んだり書けたりできるようになりたい、とさえ思う。使う機会全然ないだろうけれど。
その前に今の漢字も私はちゃんと読めないのでなんとかするべきか!?「思春期の頃にあんまり友達がいなくて本ばかり読んでいた人は、勝手に漢字を解釈するので正しい読み方ができない」とブロスに書いてあったのを読んで、「あっそれ俺のこと?」と思った私です。

ついでに書くと、今読んでいる紀田順一郎の本によると、本を黙読するようになったのは明治の末の頃からで、それまでは音読していたらしい。そしてそのことについて紀田順一郎は「音読から黙読に切り替わったときが、“近代読者”の誕生ということになる」と結論づけている。でも同時に黙読に変わった時点で漢字を正しく読むことができなくなったのでは、なんてことも思ったりもする。そんなことないか。
統計的・歴史的に考えて漢字を読むという能力はいつの時代が一番優れていたのかな。明治の作家は確かに口語・文語を使い分けてるし、漢詩なども作ったりして優れているけれど、全体で考えたら文盲も人も多かっただろうし。う~ん、わからん。

「しょうぼうてい しゅつどうせよ」-さく:渡辺茂男/え:柳原良平-

わけあって(というのも変だけど)友達から柳原良平のグッズをいくつかプレゼントされたので昨日に続いて絵本。
その人曰く「これだけ柳原良平グッズをプレゼントしたらもう集める気なくなるだろう」ということだが、いくつか集まってくるとどんどん集めたくなってくるというのが人の気持ちというものです。わかってないなぁ・・・・なんて言ってみたりして・・・・。

でも気がつけば装幀本とかトリスの本とか爪楊枝入れとかトコトコ人形とか少しずつ柳原良平ものも増えてきているかもね!?
個人的には、グッズのほうはここ数年次々と発売される新しいものにはあまり惹かれなくて、どうしても昔のものが欲しくなってしまうわけで、そうなるとやはり値段も高いしそうそう買えるものでもなくてなかなか集まりません。絵自体は変わってないのになぜかやっぱり古いもののほうが味があるよなぁ。本のほうは古いもの新しいものにこだわらず機会があるごと買っていこうと思ってるんだけどね。