男性自身のシリーズから再編集した本。読んだこともある文章がいくつか出てくるし、統一されたテーマがあるわけではないので、どんな意図で再編集したのか分からないというのが本音。なにが困ったわけでもないけれど、困ったもんだなぁ、と思ってしまう。
年が明けてから髪を短く切ったせいで、どうも首筋や頭が寒くて、何年かぶりに毛糸の帽子を買った。なんて言うのか正確には分からないけれど、緑が入ったような青色でオレンジの縁、そして小さなつばがついている。今年の冬は、髪を短いままにしてこれをかぶって過ごす予定。昔は、いつも帽子をかぶっていたものだけど、一度かぶらなくなると、家を出るときについ忘れてしまうようになって、そのうち持っていた帽子も、捨ててしまったりフリマで売ってしまった。すでに今日も帽子を家に忘れてきたとことに、家を出てから気がついた。別の意味でそういうのも、なにが困ったわけでもないけれど、困ったもんだなぁ、と思ってしまうわけで。
今日からミオ犬が友達と一泊二日の日光旅行。で、今日の夜はひとりでのんびり何しようかなぁ、なんて思ってみたりするのだけれど、週の始まり月曜の夜なんて夜遊びにも行けないし、飲みに行く気にもなれないし、実は特にすることもない。別にミオ犬がいたって飲みに行ってるしね。というか、そもそも家に帰ってみるとすでに11時過ぎ。いや、そんなことは最初から分かっているのに、ひとりと思うとなぜかウキウキしてしまうのも、なにが困ったわけでもないけれど、困ったもんだなぁ、と思ってしまうもののひとつ。
一時期、吉祥寺のユザワヤで画用紙と厚紙、布を買ってきて、気に入った写真を使って豆本を作るのに凝っていたことがあって、定期的に写真集を作っては、イベントやPickwickWebで売ってみたり、友達の誕生日のプレゼントに添えたりしてました。ちょうど武井武雄の「本とその周辺」を読んだ頃だったと思う。武井武雄のように外側を革張りにしたり、木工細工にしたりなんてことはもちろんできないし、本の作り方なんてぜんぜん知らなかったので、はじめはほんと適当に作ってましたね。でもその頃作ったものの方が丁寧だったりするんですけどね。
「これは瀬戸内の島を生れ在所として七十年あまりの年月を、大工の道具、鼻に汗をかく牛、寝たふりをする狸、帆船の航海の苦労、高等科で習ったローマ字、製図の文鎮、台湾の子供たちのくれた旗、めばると海鼠、婚礼の歌、木で作った金庫、白狐を捕らえた木挽の友達、だいがら臼、輸送船の中で見た鱶、フィリピンの水田の印象、虫送り、苗床の泥を取りに来る燕、おじいさんの湯呑・・・・とともに生きて来た倉本平吉さんの物語である。」(あとがきより)
青柳瑞穂の本は、翻訳ならモーパッサンやアベ・プレヴォー、ボーヴォワール、アポリネールなど手に入りやすいようし、著作も「骨董のある風景」や「ささやかな日本発掘」が簡単に手にはいる。でも骨董についての本は、青山二郎にしろ、白州正子にしろ、なんとなく敷居が高いような気がしてなかなか手が出ないんですよね。読んでみるとそれほどマニアックな記述が続いているわけではないのだけれど・・・・。
意図していたわけではなく、この時期に偶然に手に入れただけに過ぎないのだけれど、今年最後の雑記が雑誌「オール読物」の最後のページに数人の作家によって連載されていた随筆をまとめた「おしまいのページで」で終わるのはなんだかいい感じのようなような気がする。解説に書いてあるように「『オール読物』に『おしまいのページで』があるせいで、『オール読物』は一段と品がよくなった」と書かれているように、この雑記もちょっとは品が良くなるなったりしないだろうか。
銀座で三代続いた天ぷら屋「天金」に生まれた著者が、自分の経験を元に銀座の街の変遷をつづった本。年末になると銀座や浅草の昔のことが書いてある本を読みたくなってしまうのはなぜだろう。でも正直言うとこういう本を読んでいても地理的な関係あんまり分からなかったりします。特に地名は今の呼び方とぜんぜん違ったり、途中で変わったりするので、ちゃんと地図を見ながら読んでいないと、「それってどこの角??」といった疑問でいっぱいになってしまう。
気がつけば歩いていると誰も彼もがサンタの格好をしているのでは、と思うくらい、吉祥寺だけでなく富士見ヶ丘駅前の通りをサンタの格好をした女の子が走ってます。セブンイレブンか牛角の店員だと推測されるのだけれど、コンビニでわざわざ店員がサンタの格好をしなくてもいいのでは。そもそも日本でサンタの格好をしていいのはパラダイス山元だけです。
なんだか仰々しいタイトルではありますが、内容は、結婚6年目の永井龍男が「今日こんな人を見たよ、でも君にはそんな風になって欲しくないね」とか「たまには君も気分を変えてみるのももいいよ」という、妻への手紙、といった趣の短い文章を集めたもの。文体もいつもの永井龍男をちょっと違っていて個人的にはちょっと違和感があるような気もしないでもない。でも考え方を変えれば、「暮しの手帖」の片隅に連載されたもの、と言われても信じてしまうかもしれない、と言えるかも。この文章だったら花森安治のイラストが似合いそうだし・・・・。いや、ただの思いつきですが。
いくら釣りに興味がない人にもおもしろく書かれているといっても、この厚さで全部釣りの話というのはちょっと食傷気味になってしまう(文字は大きいが)。ましてや岩波から出ている「川釣り」と同じ話も多く収録されてるし・・・・。個人的には半分くらいにして「釣りの楽しみ&●●●●」みたいに2つのテーマでまとめて欲しい気がしますね。「釣りの楽しみ、将棋の楽しみ」とかね。井伏鱒二の将棋についてや対戦した人についての随筆がまとまっていたらちょっとおもしろそうだと思うのですが、どうでしょうか。
木村衣有子の「京都カフェ案内」を新幹線の中で眺めながら、京都に着くなり六曜社に行き、まる捨、進々堂、エフィッシュ・・・・などのカフェを回りつつ、京都の町を散歩したり、神戸に出て雑貨屋さんや本屋さんを巡り、南京町を歩いたのは、いつのことか、去年のことか?一昨年のことか?その前にオリーブのカフェグランプリの号を持って、イノダコーヒーやDOJI、オパール、ソワレ・・・・に行ったのは?なんてことを思い出しながら、「今年は引っ越ししたり、転職したりしてどこにもいけなかったな」と年の終わりにこんな本を読みつつ反省してます。