「私の浅草」-沢村貞子-

私は別に懐古的ではないと思うけれど、年末が近づく頃になると日本的な文章が読みたくなってしまい、20代の頃でも普段はアメリカやラテンアメリカの作家の本ばかり読んでいるのに、12月になると池波正太郎の本ばかり読んでいました。この「私の浅草」もその頃から読みたかった本で、でも「暮らしの手帖」+「昔の浅草」+「沢村貞子」というストレートな組み合わせが恥ずかしくて買うことができませんでした。

今でもその直球さがどこか居心地が悪い気もするけれど、あんまり気にしないことにしよう。この本で描かれるのは沢村貞子が子供だった頃の浅草で暮らす人々なんですけれど、彼女の目に映る大人たち(特に女性ですね)はどこか哀しい。
子供なので実際に何が理由なのかはっきりと分からないけれど、でも大人たちの哀しげな表情やしぐさが妙に心に残ってるってことがあると思うのですが、そのもどかしい中の悲しさと今はもうない浅草の風景が混ざり合って、思っておいなかった感情が本から醸し出されてくるようです。

強引な話ですけれど、本にはいっぺんに読んでしまわない理解できない本と、ゆっくり読むことでその間に行間から文章からすぐに読みとれなかった感情が浮き出てくる本があると思うのだけれど、この本は明らかに後者です。どちらがいいというわけではないけどね。
あぁいっぺんに読んでしまって失敗した!

「最低で最高の本屋」-松浦弥太郎-

休日に遊びに行くちょっと前だとか寝る寸前の時間とかに少しずつ読んでいた「最低で最高の本屋」が読み終わってしまった。基本的に読みやすい文章だし、それほど厚い本でもないので一気に読んだらすぐに読めてしまうのだろうけれど、なんだかすぐに読んでしまうのがもったいないという気分になってしまうのはなんでなのでしょうか?

私は特に松浦弥太郎のファンというわけではなく、COW BOOKSに行ってもただ見るだけで本を買うようなことはないけれど、松浦弥太郎の文章を読んでいると、ちょっとだけでもきちんと地面に足をつけて生活しなくちゃなぁ、という気持ちになります。そしてそれが押しつけがましくはなく、自然に素直に思えてしまうところが彼のいいところなんだろうな、と思います。

「早春」-庄野潤三-

庄野潤三が奥さんと神戸を訪ね、市内を歩いたり、食事をしたり、さまざまなところを見物したりするという内容で、これといったストーリーはなく作者が私の「神戸物語」というように、同行する芦屋に住む妻の叔父夫妻と、作者の大阪外語学校時代の同級生で新聞社を停年退職したばかりの生粋の神戸っ子・太地一郎、作者の米国留学が縁でその息子たちと知り合った香港出身の貿易商の郭さん夫妻に証言を織り込んだ神戸案内と言えます。なのでそれぞれにとっての神戸であり、全体的なテーマなどがあるわけではありません。

私は生まれも育ちも神奈川だし、神戸には旅行で2、3回ぐらい行ったことがあるだけなので、ここに出てくる神戸の風景になじみはないし、特に現在(1980年当時)と過去(戦前、戦後)の情景が混じり合うのでついていけない部分もあるけれど、ある日本の都市(まぁ神戸なんですけど)における明治からの個人史という感じでとらえるとおもしろいと思います。

「ZWARTE BEERTJES」-Dick Bruna-

ディック・ブルーナの父親の経営する出版社A.W.Bruna & Zonn社の人気ペーパーバックシリーズ『ZWARTE BEERTJES』(Black Bear)から彼が1950年~70年代にかけて手がけたもの1000点を収録した本。ブルーナの装幀に関しては以前から洋書で出ていましたが、こちらのほうはかなりボリュームもあり(厚さ4cm!)待っていた甲斐があったというものです。5000円以上の本なんてなかなか買うこともないけれど、今買わないともう手に入らないと思って買ってみました。

だんだんと日が短くなってきてしまったので、お休みの日など昼間家でだらだらしてしまって、3時過ぎくらいにやっと家を出てちょっとお茶とかしていると、すぐに暗くなってしまってます。
日曜日も「今日はいい天気だなぁ」なんて思いつつ、「サンデーソングブック」を聴きながら出かける用意をして、家を出たのはすでに4時前。それで、お腹も空いたのでクウクウでしゅうまい定食を食べて、外に出たらもう外は薄暗かったりして。これからもっと日が短くなって寒くなると出不精になりそうな予感。
今年は夏日の毎日から急に秋本番になったので、井の頭公園や牟礼の里公園などでピクニックもできなかったし、写真もあまり撮ってないし、やり残しがいっぱいあるような気分です。いまいち天気も良くないよな、なんて愚痴ってもしょうがないですね。

「酒呑みの自己弁護」-山口瞳-

私はお酒が好きなのだろうか、ということ考えてみると、それほど好きというわけでもなくて、この本に出てくるように「酒のない国」に行ったとしても全然不自由しないのではないかと思います。それよりもお菓子がない国のほうが困るかもしれません。酒に強いというわけでもないしね。時々酔っぱらいながら「前はもっと飲めてたのになぁ」と思うけれど、そう思うだけで実はそんなに飲んでなかったんだろうなぁ。よく分かりませんが・・・・。

理想としては生ビールの中ジョッキで体調に合わせて5~7杯ぐらい、「なんか酔ってきてるなぁ」と思うくらいがちょうどいい。このくらいだと電車の中で本も読めるし、駅からの帰り道もなんだか気持ちいい感じで月なんて見つつ歩いて帰れます(傍目からどう見えてるか知らないけれど)。
これ以上の飲むとつい飲み過ぎて帰りが辛いし、これ以下だとちょっと物足りない気分になってしまいます。でもたいていの場合このどちらかになってしまうんですよね。

最近は、会社が終わって7時半くらいから中華とかつまみながら2時間ぐらい飲んで、その後場所を移動して(ほかの誰かと合流したりして)、簡単なつまみで1時間ぐらい飲み直してさっと帰る、なんて飲み方がいいなぁと思ってます。そういう機会も以外とないんですけどね。

「コーヒー入門」

カラーブックスのシリーズは一時期流行っていたみたいでいろいろな人がいろいろなところで紹介しているのを見かけたものです。なのであるところでは結構高い値段で売られていたり、あるところでは文庫本のコーナーに投げ売りのように売られていたり、とさまざまで、古本屋で見かけては「ふんふん」という感じで眺めていました。
確かに中にはおもしろそうなテーマもあるけれど、一度買ってしまうとコレクションみたいな買い方になってしまいそうだったので、私はあえて避けていたのですが、「コーヒー入門」とくれば買うしかないでしょう。180円だし。
で、テレビとか見ながらときどきパラパラめくってます。写真の古ぼけた感じとねらった感じがいいですね。

週末は奥さんの友達が宙でイベントをやっているというので、「そういえば前に宙でバイトしてる友達がいたなぁ」などと話しながら雨の中、久しぶりに神泉で降りて道玄坂の方へ。店内は10時半くらいの始まったばかりの時間だったけれど、結構賑わっていていい雰囲気で、「まずは」とビールをもらいに行くとカウンターにはその友達が。まだやってたのね。「おぉ久しぶり!4年ぶりくらい?」なんて感じで昔よく遊んでいた人たちの近況や最近聴いてる音楽などの話をしていると、「ミオミィさんの旦那さんが店長を笑いながら話してる。あの人いつも怖そうなのに。」と奥さんの友達に言われてびっくり。「て、てんちょう!?」・・・・光陰矢のごとし、ですね。

「舌の上の散歩道」-團伊玖磨-

最近、少しずつ食事や食べ物というものを生活の中心に持っていこうと思っています。そうすることで、すごく心地よい生活を送れるのではないかと思うのです。よく分かりませんが・・・・。
で、私の場合、まずは食事に何を食べるかということをきちんと決めるようにすることからですね。夜になってさて「夕飯なに食べようか」なんて考えたり、散歩していてもどこでご飯食べてどこでお茶してということをきちんと決めて歩くようにしたいです。
やっぱりさ、レコードや本を中心に生活してると体に良くないと思うのよ。精神的にもさ。というほどレコード中心の生活を送っているわけでもないんですけどね。

あと、いろいろな意味で丁寧に雑にならないようにしたい。分からないことはその場で調べるようにしたり、「ほんとはこれをする前に、あれやるべきなんだろうなぁ」なんて思いながら物事に取り組んだりすることは避けたい。でもそれってすごく難しいことだよね。と人にも甘いが自分にも甘い私はすでに挫折の予感!?

團伊玖磨といえばアサヒグラフ誌上に37年間連載された「パイプのけむり」が有名だけれど、37年連載しただけあってものすごい数の本になってるということと、それよりも単に興味がなかったという理由から本屋で見かけても手に取ったこともありませんでした。
この食べ物をテーマにした本では、ヨーロッパで買い集めたハーブからイモや柘榴、そして砂糖黍までも自分が食べたいからと言う理由で庭で栽培し、いろいろなところに言ってはそこの市場でそこで採れる食べ物(野草を含め)を食べている様子が書かれています。
そして気になることはとことんまで調べていることが分かるような博学な記述がさりげなくちりばめられているところがほかの幾千もある食べ物エッセイと違うところです。

「独りの珈琲」-増田れい子-

私はたいていの場合、お昼ご飯は会社でお弁当を食べているのだけれど、一週間に何回かは外に食べに行っています。何カ月前は同じ課の人と5、6人で食べに行っていてなかなかお店に入れなくてさまよったりしていたのですが、1人辞め、2人辞め、新しい人が加わったりまた辞めたりして、9月には2人になってしまい10月からは1人になってしまいました。
一人だとどうしても「サンドウィッチでいいや」みたいなことになりがちで、サンドウィッチを片手に本を読んだり、一度定食屋でご飯を食べたあとコーヒーを飲みに行って本を読んで時間をつぶしていたりしています。食べるのが早いので定食屋などに入ると、食べ終わっても12時20分ぐらいだったりするのです。だからどうしても時間を持てあましてしまうんですよ。毎回本屋に行くってわけにもいかないしね。いやもっとゆっくり食べるようにすればいいんですけどね。

今週は天気が良かったので喫茶店から外に出ると、それほどあついという感じではないけれどなんだかちょっとまぶしい。空は真っ青で薄い雲が風にながれていたりして、「このまま帰っちゃおうかな」なんて思いながら会社に戻ってます。

「独りの珈琲」はそんな私の心に染み渡るようなエッセイで、ちょっと投げやりになりつつあった毎日を、もっと大切に過ごさなくちゃなぁ、という気分にさせてくれます。

「ねむれ巴里」-金子光晴-

「ねむれ巴里」は「どくろ杯」「マレー蘭印紀行」と続く作品なので本当はそれらを読んでからにしようと思っていたのだけれど、このあいだ横浜に行ったときに古本屋で見つけたのでとりあえず。
最近割と軽めの本ばかり読んでいたので、金子光晴の巴里での生活の生々しさが妙にズシンときました。同級生だと思われる日本人がフランスに来たとあれば電車を乗り継いで行き、同姓同名の別人と分かってがっかりとして帰り、仲間たちと日本ぽい絵を描いたり、傘を作ったりしては道ばたで売ろうとし、金持ちを見るや何とかだましてお金をせびろうとする。この生々しさはやはりアジアを舞台とした前2作の方が似合っているような気がします。期待が膨らむなぁ・・・・。

暑かった9月も過ぎて気がつけばもう10月、今年もあと3カ月。うちの会社は禁煙なのでたばこは外(屋上?テラス?)で吸っているのだけれど、ベンチに座って缶コーヒー飲んで、青い空とか隣のビルの解体現場を見ながらたばこを吸っているのはとてもいい気持ちで、席に戻りたくない気持ちになってしまいます。夏は暑かったり冬は寒かったり喫煙者が冷遇されている職場ですが、この季節はいいですね。でもそんな時期は短くすぐに寒くなってしまうんでしょうけど。